未成年自殺未遂者の人生再生プロジェクト

2019年1月11日に自分を殺しかけた19歳の更生日記

自殺未遂体験記1 ~僕が俺を殺すまで~ 

親父の声が聞こえる。

何をしてたんだっけな、あれ本当になんだっけ、、、

 

そんなことを思っていたら、いつの間にか目が自然と開いた。

 

そうだ、僕は俺を殺したんだ。しかも本気で殺す気だった。死にたかった。

 

そうだ、一週間もまともに飲み食いをせず、首を電源コードで自ら絞めて死のうとしたこともあった。

 

だけど、人間なんてそんな強い物体じゃない。七日間のうちで数回ほど自ら首を絞めてみたが、苦しくなるといつの間にか筋肉の緊張が一気にほぐれてしまう。

 

 

 

 

そして、1月11日の深夜、なぜだかこの日は目が自然と開いた。ここ最近は10時間ぐらい寝ないと目なんか開かなかったのに。アラームなんか聞こえなかったのに。

 

 

そして、久しぶりに風呂に入った。

 

体温が上がると、自然とのどが渇いてきた。あまりに渇きすぎて洗面室に出ることもなく、シャワーの水を飲む始末だった。いくら飲んでも足りなかった。

 

シャワーの水を飲みながら、日本人の幸せさをとても感じた。シャワーの水でさえ安心して飲めるんだ。しかし、反作用するかのように不幸さも感じた。

 

実際は幸福なんだろうが、有難くはない。幸せではない。夢も希望もない。

日本人の心の中はまだまだ、発展途上国だ。平日の通勤電車がそんな俺のしょうもない考えを象徴している。

 

風呂に浸かっている間、いろいろ考えた。今日のバイトのこと、来週にせまったセンター試験のこと、大学に入ってからのこと、就活のこと、仕事のこと、、、

 

いや、無理だろ笑笑。ただでさえ、ヒキニートみたいな感じだぞ、今。

 

だけど、ヒキニートとして生きていくのもな、、、

親に迷惑。高校時代の担任にも、部活の顧問にも顔向けできない。死ぬ気で働いた大人たちが納めた税金で生活保護を受ける、そんなことできるわけない、やりたくもない。

 

 

そんなことを、ずっと考えていたら、ふと昔読んだ小説の『カラフル』を思い出した。

 

そっか、睡眠薬で自殺かあ。

 

風呂をあがったら、その足は自然と祖父の部屋へと向かった。たしか祖父は睡眠薬を飲んでいたような。そして見つけた。同時に胃薬も見つけた。それらをもって、二階へと駆け上がった。

 

こんなんじゃ、死ねるはずはない。そんなことはわかっていた。スマホで薬のことについては調べた。とりあえずは、明日のバイトに行けなくなればいいんだ。言い訳ができればそれで十分。

 

 

そして、二階の扉を開けると、ふと父の降圧薬の存在を思い出した。調べた。これなら死ねるかもしれない。

 

そして、祖父の睡眠薬2錠と父の降圧薬を10錠ほど、服用した。

 

しかし1時間ほどたっても大きな変化はなかった。

 

思い切って更に降圧薬を20錠ほど服用した。

ちょっとした優しさで、父の分は4日分残しておいた。

相乗効果を期待してグレープフルーツをかじった。

 

これは本気で死ぬかもしれないと思って、久しぶりに白米を味わった。ほんの少しだったが、とても幸せだった。最後の晩餐には白米を選ぶんだな。なんだか少しだけ寂しくなった。

 

 

そして、朝を迎えた。

 

両親は異変を感じたらしく、一週間完全密閉した俺の部屋をこじ開けてきた。俺はそれを阻止しようと立ち上がった。その瞬間、目の前が真っ白になった。

 

そして同時に、親父がドアをこじ開けた。相変わらずの馬鹿力だ。

 

 

俺の部屋は一週間ぶりに開放されて、父が俺の部屋の掃除を始めた。俺は観念して布団の中に潜り込んでいた。

 

掃除機の音、久しぶりに感じる朝日、親父の存在感、、、

色々な久々を感じながら、同時に体調の悪さも感じていた。

 

 

そして、とてつもない吐き気が俺を襲った。トイレに駆け込んだ。これはヤバイ。本当に、ヤバイ。

 

 

 

 

そして僕は一度死んだ。